AI 時代に、人の言葉はどうなっていくのか
今後、人の言葉はどうなっていくのか。最近、そんなことをぼんやり考えています。
人は「思考+表現」をアウトプットしてきた
人は、感じたこと・思ったこと・考えたことを、
- 言葉にする
- 絵に描く
- 歌にする
- 文章にする
- 踊りにする
と、いろいろな形でアウトプットしています。
ここにはいつも 2 つの層があります。何を考えたか(思考) と、それをどう形にしたか(表現) です。この記事は、ずっとこの「思考+表現」で進めます。
表現のアウトプットは、どんどん簡単になった
インターネットの表現も、テキストから画像・音声・動画へと豊かになり、掲示板や SNS で双方向に、やがて生配信もできるようになりました。
その昔、ホームページと言っていた頃は、サーバーを契約するか自分で立てて、HTML を書いてアップロードして更新、という具合で、思考をアップロードするだけでもコストがかかりました1。
| 時代 | 公開のやり方 | コスト |
|---|---|---|
| ホームページの頃 | サーバーを用意し、HTML を書いてアップロード | 高い(技術・手間) |
| SNS 以降 | アカウントを作って、投稿するだけ | 低い |
SNS が出てきて「投稿するだけ」になると、「ホームページはちょっと重たいな」という層まで動き出し、書く人も見る人も増えました。
プラットフォームは表現を集めて換金してきた
プラットフォームは、システムに投資し、ユーザーに利便性を提供しながら、「思考+表現」のアウトプットを集めて換金してきました。
この構図には、すでに名前がついています。行動データを集めて将来の行動を予測し売る仕組みは「監視資本主義」2、人々の関心(アテンション)そのものを広告として換金する経済は「アテンションエコノミー」3。呼び方はどうあれ、土台にあるのは人が出したアウトプットです。
いま、AI が「表現」を代替し始めた
ここ最近は、AI の台頭で、テキスト・画像・音声・動画と、パソコンの上で作れるものはどんどん代替されています。ひとつのモデルが文章から動画を作り、音声をテキストに起こす、といったことが現実になりました4。
「思考+表現」でいうと、表現の側が代替されていっているように思います。
「思考+表現=コンテンツ」の構図が変わる
表現だけが AI で膨張していくと、担い手の構図はこう変わります。
| これまで | AI が表現を担うと | |
|---|---|---|
| 思考 | 人 | 人(変わらない) |
| 表現 | 人 | AI(プロバイダー) |
| → コンテンツ | プラットフォーマーが集めて換金 | プラットフォーマーが集めて換金(同じ) |
ここで、表現(人)と表現(AI)の違いは慎重に見たいところです。
AI の表現が劣っている、という単純な話ではありません。生産性も品質も上がっていきます。むしろ気になるのは、量が増えたときの相対的な価値です。安く量産された表現は、供給が増えるほど一つあたりの希少性が薄まり、「変わり映えしない」という意味で価値が下がっていくかもしれない。
「思考は人、表現は AI」という線引きも、実際はきれいには分かれません。AI は考えること自体も手伝います。なので言いたいのは「思考は絶対に人のもの」ではなく、少なくとも今は、思考の出どころが人に残っている、という程度の話です。
だとすると、人の思考の価値は相対的に高まるのでは
一方で、思考(人)は確実に残っています。こうなると、
人の言葉で集客し、人の言葉を換金する市場では、相対的に人の思考の価値は高まるのではないか?
と思っています。あくまで仮説で、検証したわけではありません。ただ、表現が安く大量に手に入るほど、その手前の「誰が、何を考えたか」に目が向く――という流れは、ありそうに感じています。
だから、思考の原本は手元に置いておく
そうだとすると、思考の原本は自分の手元に置いておく。これ自体は、やっておいてもよいのではないか、、、そんなことを考えるようになってしまいました。市場やプラットフォームの都合に預けっぱなしにせず、自分が考えたことの原本は自分の側に残す。仮に外れても、損になる話でもないだろう、というくらいの距離感です。
「表現」のほうでは、もうそうしています。長く残したい文章は、自分のドメインに Markdown で置く。そのために小さなツール(crofty)も作りました(その話)。サービスの都合で書いたものが流れていくのが、なんとなく据わりが悪かったからです。同じことを、その手前の「思考」でも、ぼちぼち始めようかなと思っています。
これから先どうなるんだろう、と語っておきながら、加齢が進んで無自覚に懐古厨になっただけかもしれないな、とも思います。それでも、手元に残しておくこと自体は、たぶん悪くない。
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ウェブ草創期(1990 年代後半〜2000 年代初頭)の個人サイト文化と、ブログ・SNS 登場で投稿のハードルが下がっていった流れについては、佐倉葉ウェブ文化研究室「商業サイトと個人サイトで構成されたウェブ草創期の歴史」 を参照。 ↩︎
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「監視資本主義」については、ショシャナ・ズボフ『監視資本主義』(Wikipedia 解説)、および WIRED.jp「日常のすべてが監視され、収益化される」 を参照。 ↩︎
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「アテンションエコノミー」の概要は、LISKUL「アテンションエコノミーとは?」 を参照。 ↩︎
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生成 AI のマルチモーダル化(テキスト・画像・音声・動画をまたいで扱える)については、日経クロステック「マルチモーダル化が進む生成AIサービス」 を参照。 ↩︎